FOLLOW US

BLOG

新国立競技場問題…。

前回の東京出張の折、
新国立競技場の建設地にも立ち寄ってきました。

東京体育館より撮影

 

建築関係で、これ程に世間の関心を集める話題は、近年無かったと思うのですが、
内容が内容なだけに、業界関係者として残念でなりません。

この問題、
政治的な面、近年の建設費高騰、加えて公共建築のダークな一面が複雑に絡みあい、
更に、それをオモシロオカシク煽動するメディアが煽りに煽ってここまで発展したように感じるのですが、敢えて、その部分は置いておいて、建築設計する者の一人として、この問題についての意見を申し上げたいと思います。

まず、2500億円といわれている膨大な工事費となった要因ですが
他の方も言われているように、クライアントである、日本スポーツ振興センター(JSC)の施設条件設定に大きな問題があったのではないでしょうか?

 

施設の要求条件が、てんこ盛り!

 

施設の条件(規模や必要諸室など)については、メディアやネットで見知った程度ですが、
競技場に加え、記念館的な施設の他、コンサートイベント会場+サッカー競技場を両立するため、天然芝のフィールドを開閉式の屋根で覆うという技術的に困難な機能までも盛り込み、かなり贅肉がついた要求条件になっていると思います。

 

日本で一番のスポーツ競技施設ですから、ある程度それも理解できますが、
はじめに、どんな施設をどの程度の予算で作るべきか?
その中でも、本当に必要なモノは何か?
という事柄について議論を深め、ビジョンと方向性を明確にしなければ、
提案する側としても、設計する側としても【不必要な余裕】を見込まざるを得ません。

そのためには、膨らみ続ける要望を抑止できる権限と責任のあるプロジェクトリーダー(施主)
が不可欠で、個人住宅、民間事業者などの場合、それが明確ですが、
このような公共建築の場合、その部分が曖昧になるので、規模も予算も膨らむ傾向が強くなりがちです。

新国立の場合、本来の施主は国民。

結果論になりますが、、現在の日本国民感覚を有し、建築についても造詣の深い国立競技場建設担当大臣が、総理大臣から権限と責任を任命されて、担当していれば、このような事にはならなかったのでは? と、思います。

 

また、コンペで選ばれたザハ・ハディド氏のデザインについてですが、
形態は、非常に斬新かつシンボリックで、ザハ・ハディド氏にしか提案できない案だと思うのですが、日本の、あの場所の為に求められる案なのかな?とも感じました。

 

つまり、ザハ氏の作家性が強く出すぎて、『建築物』のための建築物となっており、
あのデザインが、建築という器の中で開催される事柄(イベント)や、あの地域の歴史的文脈と
どのように関連するのかが、少し疑問であります。

オリンピックのメイン会場ですから、国威発揚のシンボル性も重要ですが、
大前提として、建築は、そこで過ごす人の豊かな時間の為につくられる物ですから、
その場で過ごす人に、こんな感動与えることができる、おもてなしできる、という点が明確でなければ、ただ単に、箱であり、中に入ることができるモニュメントになってしまうと思います。

 

可能であれば、次回のコンペに私達も参加したいのですが、
参加資格の条件が非常に高いので、難しそうです。。 😉


最終決定される案は、コストは勿論ですが、
競技者や観客の視点に立ち、場所性や日本という国の象徴性、そしてランニングコストを含め、総合的に考えられた案であることを、切に願います。

矢野

PAGETOP